元KARAのニコル、脱退は「不可抗力」だったのか…露骨な差別待遇

KARAが本格的に人気を得始めた2008年12月、アルバム『Pretty Girl』はセンセーションだった。

少女たちのセクシーさよりも”堂々さ”を武器にした姿に、多くのバラエティ番組で「KARA熱風」が起こり、「Pretty Girl」の振り付けをまねたりした。この勢いに乗ってKARAのメンバーだったニコルは、2009年1月からKBSの看板バラエティ番組「スターゴールデンベル」に出演し、「目の高さを合わせて」のコーナーで上昇を続けた。

たどたどしい韓国語は愛らしい姿としてアピールされ、Mnetの「愉快なニコルの獣医学概論」やSBS「英雄豪傑」にも出演して、KARA内での大衆性を引き受けることになる。2009年7月、KARAは休まず2ndアルバム『Revolution』を発表し、「ミスター」で瞬く間にトップの座を獲得した。「ミスター」のヒップダンスはKARAを代表する振付になり、2010年は「ルパン(Lupin)」と「ジャンピン」を発売。そのすべてが大人気を得る成功した作品になった。

しかし2011年、KARAに大きな試練が訪れる。数々のニュースを飾るほど熱かった「KARA事件」は、KARAのメンバーたちはもちろん、ファンにまで傷を残す大規模な事件として記憶に新しい。KARAの分裂が扱われた「KARA分裂事件」に、一部のメンバーの親たちは、所属事務所を相手に契約解除を要求したりもした。KARA事件は3ヶ月ほどで終結し、事件は解決されたかのように見えた。

しかしKARA事件が終わった2011年以降、SBS「人気歌謡」のMC以外の番組でニコルの姿を見るのは難しい状況が続いた。さらには、メンバー全員が参加するスケジュール以外は、レギュラー出演もゲスト出演もないと見てとれるほどだった。他のメンバーたちが、SBS「動物農場」、KBS「マンマミーア」、KBS「フルハウス」、MBC「世界を変えるクイズ〜セバキ〜」などの地上波番組に顔を出していてもニコルの姿は全く見られなかった。

ニコルのファンが語る寂しさは、単純に番組のせいではなかった。KARAの大衆性を瞬時に高めたニコルの本業は歌手だ。歌手としての活動だけでもあったなら、そこまで寂しくはなかったかもしれない。しかし、ニコルは番組以外にも「歌手」としての本業もしっかりと見られなかったのが現実である。

ニコルはKARA事件以前の活発な活動に比べて、2011年からソロ曲がない。当時、歌の実力について議論されていたハラやジヨン(現在は知英)でさえもドラマのOSTを歌っていた時、以前からパク・ミョンスと「クジラ」、Noelのカン・ギュンソンと「Happy end」を歌って活発に活動していたニコルの姿は見られなかった。

また、ニコルはKARAの振り付け担当で、ニコルのソロ曲「MAMA」のハイレベルな振付能力から見て分かるようにダンスでは、KARAのコアメンバーであることに違いなかった。「ミスター」や「ルパン」がそうだったようセンターで踊ることに慣れているニコルだが、KARA事件以後は出番が大幅に少なくなり、わずかなパートとステージの端にいるレベルでしか登場せず切なさを醸し出した。

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