KARAヨンジ「もう口を覆って笑わなくてもいいです^^」

KARAの新メンバーヨンジ、明るく口を開けて声を出さない笑顔で「ミュート笑い」というヨンジだけの笑いを披露し、多くの愛を受けている。そんな彼女のあれこれを聞いてみる。

□元々の夢はミュージカル俳優

ヨンジが子供の頃の夢はミュージカル俳優だった。小学生の時は大学路(テハンロ)の劇団に入って小劇場ミュージカルをしたりもした。ミュージカルをしながら声楽も学んだ方がいいと判断し、6年生の時にボーカルも学んだ。その後、芸術中学校に進学し、英語を学ぶためにニュージーランドに留学した。

「英語の勉強はしないで西洋の友達と遊んでばかりいた。(笑)韓国に帰ってきて空港でママとパパは私だと分かってくれませんでした。あまりにも焼けていたしすごく太っていたので。脂っこい食べ物をたくさん食べていたんですよ。(笑)カロリーが何なのかも分かっていませんでした。2年ぐらい行っていましたが、英語力はあんまりです。ジャクソンは韓国に来て2年で韓国語が上達したんですよ。私と比較されますね。(笑)英語はただリスニングが出来るレベルなのでジャクソンとパク・ジュンヒョン(god)お兄さんが英語で聞いてこないかと内心焦っています。」

代わりに、歌手の夢を育てた。ミュージカルナンバーだけを勉強していた彼女はBoAのファンであった姉につられて歌謡に入門、少女時代の「また巡り逢えた世界(Into The New World)」などを歌いながらアイドルデビューを目指すことになった。当然、親の反対が激しかった。しかし、1回目標を決めたら執拗にねばる性格のおかげで、両親も白旗を上げ、許可された。

□KARAのヨンジという言葉、一番好き

最初のオーディションは、Girl’s Dayが所属していたDream Tエンターテイメントだった。Girl’s Dayがデビューした後、すぐにデビューすることができる機会だった。

「Girl’s Dayの『Twinkle Twinkle』が、人気が出ているのを見て嬉しすぎて泣いてしまいました。私がその後に続くガールズグループとしてデビューできると思ったのに、その計画が何度も延期されました。最終的には会社を出ることになりました。今もまだミナ、ヘリ(Girl’s Day)と一緒に冷水で皿洗いして手が赤くなっていたこと思い出します。その後、いくつか調べてみてDSPエンターテイメントに入ることになりました。その時は私がKARAになるとは想像もしてなかったです。」

謙虚に言うが新しいメンバーを選ぶプロジェクトが進行された当時、ヨンジが有力だという意見が多かった。しかし、本人はその後もしばらくの間、実感が湧かなかったという。

「活動しながらも実感が湧かないんです。だから周りから『KARAのヨンジだ』と言ってもらえると本当に嬉しいです。ただのヨンジではなく、KARAのヨンジという言葉がすごく好きです。最近はファンの方々が下さる手紙を読んでから寝るので、寝るのが夜遅くになります。」

もちろん、すでに何年も頂上にいるガールズグループに新しいメンバーとして入るのは容易なことではない。彼女は今年の歌謡界で最もプレッシャーのある仕事をこなしていた人の中の一人だと言える。当然、気苦労が多いだろうという視線が多いのも仕方ない。案の定、彼女はそのような質問をかなり多く受けた。

「最も多く受けた質問です。『大変じゃない?』最初は私も心配していました。ちゃんと適応できるだろうかと。お姉さんたちは長い間息を合わせて来ているので、少し合わせるだけで本当に息がよく合うんです。私も一生懸命したけど、最初はよく合ってないという感じでストレスでした。だから振り付けの練習をしている映像を何度も見ました。スロー再生でも見ました。お姉さんが分からないことがあれば聞いてと言ってくれたのでずっと聞いていました。それ以降はだんだんお姉さんたちと息が合ってきたと思います。実力も伸びてきて心強くなってきました。」