2PMのJun.K、「『ヤギの華』の映像は僕が見ても笑ってしまう…今後より良い音楽をお聴かせする」

アイドルグループ2PMのJun.Kはメインボーカルとして10年近く活動したが、歌唱力で注目されたことはあまりなかった。パフォーマンスを重視したチームの特性上、Jun.Kの歌唱力を発揮する機会はあまりなかったからだ。ソロ活動で少しずつ自身の真価を発揮してきたJun.Kは、ニューアルバム『ぼくの20代(My 20’s)』を通じて一層グレードアップされた音楽的力量と成熟した雰囲気を表わした。
■人間キム・ミンジュンの“20代”を表わしたアルバム
Jun.Kは先月27日に発売したニューアルバム『ぼくの20代』を通じて今まで体験した恋愛や別れ、未来に対する悩みを正直に解きほぐした。タイトル曲「引っ越しする日」をはじめ全5曲が収録され、Jun.Kが全曲作詞、作曲にプロデューシングまで参加したアルバムだ。
彼は「本来このアルバムを出す計画がなかった。今年のはじめ2PMのコンサートで指を骨折し、治療に専念しながら入隊準備をしていたが、その時まで時間がとても空くようだった。僕は何もせずに静かに休むのが耐えられないタイプなので、残る期間の間何をすれば良いのか悩んだあげく、仕事をすることに決めた」と明らかにした。
「20代を過ごしながら感じた僕だけの物語を込めたかったのです。その時に何を考えたのか思い出そうと、昔サイワールド(SNS)に非公開で書いておいた日記まで探してみました。愛、未来に対する悩み、社会的な視線などの色々な感情を表現したアルバムです。
■ 9年間付いて回る「ヤギの華」、「失敗を認める…番組は弁解してはいけない」
大衆がJun.Kを言及する時に必ず登場するシーンがある。2008年の新人当時、あるステージでパク・ヒョシンの「雪の華」を呼んだ彼は、不安定な音程とキーピッチを外してしまったせいで多くの人々の笑い話になった。当時の歌声がヤギのように震えているからと「ヤギの華」という滑稽なニックネームまで得た。Jun.Kはこの日のインタビューで自身の“黒歴史”を自ら引き出した。
「『雪の華』事件以降、初めは人々が僕に対してどう思うのかとても悩みました。僕もあの映像を見たが、笑ってしまいましたよ。その次は、僕が何をしても面白いイメージだけ刻印されると困惑しました。」
彼は「実はあの時、ステージに上がる前からだの調子が良くなくて歌をまともにできない状況だった。歌手が弁解をするのは良くないが、新人だったので僕のコンディションが良くないからとその場から抜け出すこともできなかった。僕の失敗は明らかで、そこに対しては別に話すことはない。今後より良い音楽で報いれば良いと思う」と力説した。
■ソロ歌手Jun.K「まだ成し遂げねばならないことが多い。熱心に階段を上る」
2014年から本格的なソロ活動を始めたJun.Kはほとんど自身が使った曲をリリースしてシンガーソングライターとしての存在感を現わすために努力した。2PMのように代表的なヒット曲があるわけではないが、今後見せるものがより多く残るソロ歌手Jun.Kだ。
彼は「アルバムジャケットに階段が描かれているが、そのようにソロ歌手Jun.Kは熱心に階段を上がっている。まだ成し遂げねばならないことが多い。今回のアルバムを通じて、大衆がJun.Kという歌手に持っていた先入観を少なくとも壊すきっかけになれば嬉しい」と願いを現わした。
「20代始めには無謀な挑戦をたびたびして手に余って苦しいことも多かったが、今振り返ってみるとそのような瞬間がとても懐かしい。30代になると全ての事に慎重になって保身を図るようになる面がある。今年自分自身を振り返れる時間が多かったが、来年はもう少し融通性を持って生き、大衆と着実にコミュニケーションを取る歌手になりたい。現実に安住しようとする気が起きる度に夢を叶えるために切実だった瞬間を思い出してむちを打つので見守って下さい。

インタビューをしながら見守ったJun.Kは、予想よりはるかに落ち着いていて考えが深かった。若くしてアイドルという華やかな職業で成功を味わったが、その裏で人知れぬ苦しみや痛みを体験したからかもしれない。多少敏感になる質問にも「大丈夫だ」と笑う余裕を見せたJun.Kは、インタビュー終了後、わざわざ取材陣を尋ね歩いて「寒いのにお越し頂いてご苦労様です」と挨拶して回った。
多事多難だった20代を終えて30代に入った彼の音楽人生第2幕がどのように繰り広げられるか期待される。