“アジアナンバーワン”の真価を発揮
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2000年、初めからひとりだった。15歳(当時満13歳)の少女はひとりでステージに立って歌を歌い踊った。2002年から少女の才能が開花し始めた。韓国でも日本でも少女を探した。数十枚のアルバムをリリースして少女は着実に成長した。20歳、30歳の女になった。しかし相変らず煌びやかに踊って、ライブステージを設けた。容易な道には戻らなかった。そうしてずっと15年間“アジアのナンバーワンBoA”としてそびえ立った。

今月23日午後、ソウル市世宗(セジョン)文化会館大劇場でBoAの単独コンサート「2015 BoA Special Live-NOWNESS」が開催された。2013年1月に開催した韓国初めてのコンサート以降、約2年7ヶ月ぶりの2ndコンサート。何より8月25日でデビュー15周年をむかえるBoAにとって記念のコンサートである。

BoAは1990年代にアイドルグループH.O.TとSechs Kiesを除き、初めて世宗文化会館のステージに立ったアイドル歌手だ。韓国はもちろん日本進出の成功を収めた女性歌手BoAは15年間活発に活動して、K-POP歌手の第1世代で価値を認められ、コンサート開催を引き出すことができた。

1公演あたり3,000人の観客、合計6,000人と向き合ったBoAは約140分のランニングタイムに19曲のレパートリーを構成した。BoAは15年間の活動で発表曲の数も相当ある。このため合計4回のメドレーパートを準備した。メドレーを解きほぐせば、BoAはステージで合計33曲を披露した。

◆デビュー15周年、記録を呼び起こすBoA
BoAは今回のコンサートで15年を振り返った。映像を通じて「ID:PEACE B」でデビューした当時の姿と自ら向き合った。初々しい満13歳(韓国の年で15歳)のBoAを微笑ましく見守った今のBoAは、順に今までの発表曲をメドレーで構成した。様々なメドレーはBoAの音楽領域を量らせた。

BoAは最初のメドレー「Spark+Moto+Smash+Bad Drive(日本語)+Bump Bump(日本語)」を通じてカリスマを見せつけた。デビュー当時から“ダンスの神童”と呼ばれたBoAらしく、ダンサーと交わって一糸乱れぬ動作を届けた。2番目のメドレー「Valenti+My Name+Clockwork」は韓国の代表ヒット曲らで、韓国代表のタンゴ選手が共にステージへ上がった。BoAはタンゴ選手と熱情的なカップルダンスを見せた。

3番目のメドレー「Game+Shout It Out(日本語)+Energetic(英語)+I Did It For Love(英語)+Masayume Chasing(日本語)」はBoAの活発な海外活動を十分に楽しませた。韓国、日本、アメリカで順にデビューしたBoAは、今回の順序で再び彼女の力量を確認させた。4番目のメドレーは「Sara+My Sweetie+Shine We Are!+Listen To My Heart+Amazing Kiss+Rock With You」で、SMのパフォーマンスディレクターシム・ジェウォンが登場してDJingのステージを整えた。

◆デビュー15周年、相変らず成長するBoA
BoAは“ダンス歌手”という枠組みに閉じ込められていなかった。自作曲のレパートリーはもちろん、ライブバンドの演奏と共に単独でステージを満たした。独特な声とパワフルなパフォーマンスで“BoA音楽”を完成させた。甘美なバラードから躍動的なジャンルまで自由自在に行き来して“アジアナンバーワンBoA”をステージの上で再び立証した。

2003年に発表した「アトランティス少女(Atlantis Princess)」の選曲はBoAにとっても特別だった。当時マネージャーの突然の死で、BoAはこの曲を歌うことさえも難しかった。「この曲は私にとって大きな傷がある。今まで簡単に取り出すことができなかったが、もう私も黙々と歌うことができそうで選曲することになった」というBoAは、それだけ成熟した自身を表現したと言える。
BoAは作られた歌を歌って、踊るだけに留まらなかった。着実に曲を作りシンガーソングライターとしての成長の可能性も垣間見せた。特に2013年に発表した「Only One」でBoAは大衆から合格点を受けた。コンサートでは初めてアコースティックバージョンで紹介した。

◆デビュー15周年、アジアナンバーワンBoA
今年でデビュー15周年をむかえたBoAは感激した。「今年私がデビュー15周年を迎えた。それで私の年齢がかなり高いと思われるが、デビューする時が15歳だった」と笑って「このように意味深い公演会場でデビュー15周年の単独コンサートができて幸せだ」と現在の心境を伝えた。だが以前とは違うコンサート準備に伴うプレッシャーも吐露した。

「今回のコンサートは今までした公演の中で準備期間が最も長かった。それで練習量も多かった。私はセンター試験を受けたことはないが、そのような気持ちだった。自ら公演D-dayを設定したが、日が近づくほど体調が悪くなった。ところが昨日の初めての公演でファンたちの歓声と応援を見ると力が出た。かえって体が完璧になった。」

デビュー後、韓国のステージより日本および海外でさらに長時間留まったBoA。ニューアルバム発表に対するプレッシャーと共に孤独も大きかったはず。しかしBoAは音楽に対する情熱と自身へ向けられた期待を裏切らなかった。そのように15年を持ちこたえ、15周年の単独コンサートまで成し遂げた。
BoAは最も特別な瞬間を「No.1」で韓国と日本で同時に成功を収めた2002年を挙げた。コンサートのエンディング曲で「No.1」を選んだBoA。“アジアナンバーワン”の真価を発揮して終えた。