「離れる時は笑って離れるのが僕の原則」
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東方神起の華やかな第2幕が終わった。今月14日、ソウル市オリンピック体操競技場で開かれたコンサートを最後に、東方神起のエンジンはしばらく止まる。ユンホが7月21日に入隊する前最後の東方神起の活動だった。

まだ入隊日が決定していないチャンミンの軍服務まで考えるとすれば、2~3年間は再び見られない東方神起のステージだった。チャンミンは出来るだけ空白期間を短くするため、入隊を操り上げるつもりだ。しかしドラマ契約がひとつ残っている。

◇華やかな第1幕“ブルドーザー”
東方神起の登場は歌謡界の“ブルドーザー”のようだった。全ての記録を全て塗り替え、K-POPがグローバル市場に進出できるよう道を整えた。2000年代中盤だけでも、日本はアイドルグループとしては難しい市場だった。果敢に挑戦を選んだ東方神起は小劇場公演からスタートし、日本の若年層は伝染病のように韓国のアイドルに夢中になった。
先駆者らしく東方神起が日本で樹立した“最初”の記録は20個を越える。2006年8月、シングル「Sky」がアジアグループで初めてオリコン週間チャートトップ10にランクインした。2008年1月、シングル「Purple Line」では発売初週アジアグループおよび男性歌手で初めての1位を達成した。「紅白歌合戦」にも韓国アイドルグループ史上初めて招待された。

◇痛み、そして復活
成功し続けてきた彼らにも試練は訪ねてきた。
2009年夏はその暑さと同じくらい東方神起にとって息が詰まった時間だった。キム・ジュンス、キム・ジェジュン、パク・ユチョンのメンバー3人が、所属事務所SMエンタテインメントを相手取り専属契約効力停止仮処分の申請を出してチームに亀裂が入った。激しい法廷攻防が続き、メンバー3人は結局JYJという名前で活動をスタートした。東方神起はこのまま解散すると思われた。しかしユンホとチャンミンは2年後、東方神起という名で復活した。2011年に発売された韓国5thアルバム『Why? (Keep Your Head Down)』は東方神起の第2幕を開く象徴として残っている。あの当時、韓国の全てのチャートはもちろん日本や中華圏で1位を総なめにした。2人組に対する限界と憂慮の視線を払拭できた東方神起に生命力を吹き込んだ。

◇笑って下ろされた第2幕
入隊前最後のステージでユンホは涙を見せなかった。11年間、必死に守ってきた東方神起の名を当分の間下ろす事になったが、最後まで笑顔を失わなかった。ユンホは「離れる時は笑って離れるのが僕の原則」としながら「生きてきて色々な思い出があるが、もうひとつの素敵な思い出になるようだ」と別れの挨拶に代えた。さらに「東方神起でデビューしてチャンミンと皆さんがいてここまで来ることができた。チャンミンと本当にたくさん喧嘩をして笑った。ステージで大変で孤独な時、チャンミンが手を握ってくれてここまで来た」と感謝の気持ちを示した。それと共にデビュー前に亡くなった祖父を呼んで親指を立てて「約束を守りました!」と大声を張り上げた。チャンミンは「元気にこのステージに戻ってきたい。常に東方神起が人生の活躍素でありビタミンになったら嬉しい」と除隊後にも続く東方神起の第3幕を予告した。